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名古屋山三郎と不破万作

歌舞伎の礎を築いた戦国の若者達

写真は東洲斎写楽の錦絵「三世沢村宗十郎の名護屋山三と三世瀬川菊之丞の傾城かつらぎ」

「歌舞伎の祖」と伝えられる名古屋山三郎は、名古屋(那古野)氏の一族で、蒲生氏郷や森忠政に仕えた実在の戦国武将でした。織田氏とも縁戚で、名古屋城三の丸内西の武家屋敷内に山三郎の居館がありました。また、山三郎は「戦国三大美少年」に数えられるほど類まれな美貌の持ち主であったといわれています。さらには、「名古屋山三は一の槍」とうたわれ、槍の名手としても名を馳せました。
豊臣秀次に仕えた尾張地方出身の小姓・不破万作は山三郎と共に「戦国三大美少年」に名を連ねた人物です。わずか17才で生涯を終えた伝説の美少年は、のちに歌舞伎「鞘当(鶴屋南北作)」の主人公・不破伴左衛門のモデルになったと伝えられています。「鞘当」は2人の武士が遊女・葛城太夫に会いに行く道中、鞘が当たったことから斬り合いになるというお話ですが、この武士のひとりが伴左衛門であり、もうひとりの名は「名古屋山三」、つまり名古屋山三郎がモデルなのです。
山三郎は美男で傾奇者だったことから、浄瑠璃や歌舞伎の題材になり、出雲の阿国と山三郎の2人が並ぶ姿の絵が、歌舞伎図巻や屏風絵などに数多く描かれました。そのため、「歌舞伎の祖」と伝説化され、これが江戸時代中頃から定着したものといわれています。
円頓寺商店街にある「カブキカフェ ナゴヤ座」では、名古屋山三郎一座が「ナゴヤカブキ」を上演し、今の世に歌舞伎の伝統芸を伝えています。山三郎や万作から始まった歌舞伎の潮流は、同じ名古屋の地で繋がっているのです。